有山じゅんじと内田勘太郎・その1


 京都と気温の違いが解るほど、神奈川が暖かく感じる。

 ??  オイラの休みの間に、店を営業してくれた彼女のお陰で、遊びに来てくれるお客さんの顔ぶれには変化はなかった。

そしてまた相変わらずの外人バーの親父にもどり、京都の土産話に花を咲かせる日々である。

 日米のお客さまが最近にぎわいを見せているのが、外タレのコンサートの話である。

ロック屋としては見逃せないバンドがじゃんじゃん来日しているのだ。

1 月は『フォリナー』や『ホール&オーツ』が来ていたが、行かなかった。

日本武道館で『フリードウッド・マック』、中野サンプラザでは『ザ・ポリス』、その後に続くかのように、『J・D・サウザー』が厚生年金会館…。

ジャンルなどはバラバラだけれど行きたい。

しかし、京都で遊んだ分が後になってひびいてくる。

少しは真面目に店を開けていなければと、せっせと仕事に身を入れる毎日だ。??

3月になるとロック狂の集まりはさらに増し、かなり暴力的な米兵が来るようになった。? 

この5年間で、鶴間を中心にロック・バーが10軒近く出来たこともある。

肝心の厚木基地に近い所には、ハードロック系バーは一軒もなかった。

元気な酔っ払い米兵は『TOTO』のライブの帰りに菩南座に乱入、奇声をあげて騒ぎまくる。

お次はイギリスの若手バンド『ジャパン』を観てきたアメリカン・ハイスクールの子供たちの集会ときた。

「新譜の菩南座」といわれる程、レコードは揃(そろ)っている。

それが彼らのハートに火を付ける。

チケットの半券を店のいたるところに勝手にピンナップしてゆく。

カラフルに印刷されたチケットにはバンド名とトレードマークが入っていて、今のとは比べ物にならない位の記念品的価値があった。??

 4月は『トム・ぺティ』、『スタイリスティックス』、5月は『マディ・ウオーターズ』と、舶来バンドのラッシュの年であった。

??  さて「菩南座」のライブというと土・日に限られていたが、それぞれのバンドにファンもつき始め、少しずつ定着していく。

そんな中で「南正人」のオールナイト・ライブは名物的で、一部の米兵にも人気があった。

??  「Mooney」がロック・バンド『The Conx』を結成したのがこの年である。

"パンク・ロック"なる流行の反体制型大暴れバンドが出現したのも、この頃だと思う。

そしてロックンローラーも大勢いました。

『キャロル』が解散して5年、『クールズ』の時代が来たかと思えば『横浜銀蝿』がデビュー、

暴走族・たけのこ族・ローラー族と、いたるところ族だらけで土・日曜となれば、歩行者天国は奴らのダンス天国と成り代わる。??

 5月号の「ぴあ」が届いた。早速コンサート欄をペラペラとめくっていたら、「ありゃ!」。

「有山じゅんじ &内田勘太郎」のライブが高円寺の『LA.エキスプレス』という店のスケジュールに入っているではないか! 

これはどうしたことだ?   東京へ来たときはオイラの所に来てくれることになっていたのではないのか? 

何かの手違いか、それとも都合の悪いことでもあるのか? 

いろんな事情があるかもしれないが、電話ぐらいは入れてくれるだろうと思っていた。

それならば、当日になったら高円寺のその店に行ってみよう。そんなことを思いつつ、仕事に励むのであった。?? 

5月×日、仕事が一段落したのが9時を回っていた。大急ぎで東名高速、環七、を使って高円寺に向かう。?? 

高円寺の北口には、現在創業32年の老舗のライブハウス『JIROKICHI』がある。

ここは駅に一番近い所にあるが、目的の店『LA.エキスプレス』は北口の細い道を曲がりくねった奥の方にある。

この辺はこまごまとした商店街が駅から続き、小さなライブ小屋が点在している。

フォークを中心とした『稲生座』や、『猫屋敷』なんていう店があったりして、選り取り見取りのライブ街だ。

その中に目的の店はあった。ライブ小屋というよりはスナック・バーという感じの、10坪程の店である。??

 着いたときはライブが終了したところで、店内は興奮したお客さんでごった返していた。

マネジャーの玉井氏が、奥の方から手を上げて笑顔で迎えてくれた。

店内が落ち着くあいだは話しも出来ない状態になっていたので、二人で外へ出ることにした。

飲み屋の灯がキラつく街角で立ち話し、今回のツァーは『憂歌団』との数カ所での駆け足ライブで、

大阪に戻り、又『憂歌団』と『マディ・ウオーターズ』と共演が本決まりとなっていて、

忙しい日程になっているのだということが分かった。

ミュージシャンのライブスケジュールを組むのは難しいもので、

なるべく身体に負担にならないように、無理のない調整が必要となってくる。

マネジャーは月の日割りから移動の段取り、

そして時により舞台のセッティングからミキサーまでやったりすることもある-ご苦労様です。??


  やっとライブ小屋から開放された有山じゅんじと内田勘太郎と三ヶ月振りの再会を喜び、

玉井氏を含むオイラ達四人は、人通りの少なくなった商店街を歩きながら、今度は日程を決めますから、

菩南座で会いましょう!と、お互いの肩をたたき合い、高円寺駅前で別れたのだった。







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