ブルーズ・バンドをやろうぜ!その1








 1980年、映画「ブルーズ・ブラザーズ」が公開された。

?それよりも前にファーストアルバム「ブルース・ブラザーズ」が全米1位を独占していた。

パロディにしては抜群の出来映えで、常連客に評判が良かった。

日本ではあまり知られていない黒ずくめにサングラスの二人組、ジョン・ベルーシとダン・アクロイドの、

冗談ではないくらいの乗りのいいブルーズにびっくりさせられた。

バックミュージシャンはステーブ・クロッパーを初めとする一流のミュージシャンを従えて、

制作されたアトランチック・レーベルのレコードである。

そして、映画の方ではそれに付け加えて多彩の大物ブルーズマンが登場するのだ。

ジェームス・ブラウン、レイ・チャールズ、アリーサ・フランクリン、等が出演している。

これを見逃す訳にはゆかない。

音響の良いロードショウ劇場でなくてはと、店に来る常連さんと連れ立って横浜の映画館「ピカデリー」へ行きました。

平日のお昼過ぎだと言うのに、超満員で立ち見が出るほど息苦しかった。

?  映画はクライマックスのコンサートシーンで、

後ろから観ると、スクリーンを魅入ってるお客さんの頭がリズムに合わせて揺れて波を打っている。

映画でこんなに盛り上がっている光景をみるのも良いものである。

一緒に行った常連はポケットから酒を取り出しオイラにすすめる。

本日1回目の上映が終了して、何とか座席を確保することができた。

冷たいビールが欲しくなり買い物へ行こうとすれば、興奮さめやらぬ顔見知りの大和・横浜の住民に囲まれて、

今見た映画の解説をしてくれる。

当時の劇場は総入れ替えがなく、入場すれば何回でも終演までも観賞出来るので、連中はひきつづき2回目も観るのだと頑張っていた。

  ???『菩南座』では映画の話題で盛り上がり、"BLUES BROTHERS"で浮かれ、米兵と日本青年との音楽交流がいつものように始まる。

「夕焼け楽団」にあこがれて鶴間に引っ越してきた学生バンド軍団も、この頃はブルーズ一辺倒になり、誰かが演奏しはじめればブルーズを歌いだす。

厚木基地の米海兵隊にディブ・スティンケンという白人のケンタッキー出身の男がいました。

彼は黒人ブルーズが大好きで、いつもポケットの中にハーモニカを忍ばせている。

そしてブルーズのレコードに合わせて吹いてみたり、たまたま仕事帰りのギターリストが遊びに来たりすると、

早速ブルーズのセッションが始まるのである。そんな訳で店には誰でも使えるようにギターが2本だけ用意いてある。

 ?  ?ライブ・スケジュールも地方からの出演希望者も増えて来ていたけれど、ブルーズの弾き語りをやるミュージシャンはいませんでした。

唯一、「妹尾隆一郎」と「内田勘太郎」がおりましたが、滅多に組めるスケジュールではない。

そんな中で、売れないブルーズ・マンに「銀銀」というバンドがありました。南林間に在住していた人で「神林治満」

『現在は「Broom Duster Kan(ブルーム・ダスター・カン)』。三枚目のCDが発売中です。

この人のエピソードは悲惨なものだった。?

  「銀銀」ファーストアルバム発売当初、月間音楽誌『ニュー・ミュージック・マガジン』社の中村とうよう氏が新譜の音楽採点をやっていて、

そこで不名誉な0点を付けられてしまったのだ。 この雑誌の音楽採点はいろいろと問題があった。

買う人の購買意識の妨げになるばかりか、人の好き嫌いに大きく左右されたからだ。しかし、「神林治満」はそんなことでは負けてはいない。

相模川に自家用発電気を持って行き、ギターアンプに電源を入れ、思いっきりの爆音で「ロバート・ジョンソン」を唄い叫ぶのだった。

そのうちに相模川へ遊びに行っていた米兵からライブの話が持ち上がり、『菩南座』で演 ることにしたのですが、一つ問題があった。

なにしろ音が大きすぎることだ。『菩南座』は住宅街の中にあり、しかも、店舗はアパートの一階にあるのだから、

鶴間の市民権がない番外地のようにはいかない。ご近所の苦情は間違いなしである。

米兵やアメリカンハイスクールの連中がファンであればこそ、なおさら大事になる。

そこで、大和にある知り合いの同業者のバー『ぼんくら』でライブをやることに決めて来た。

この店は地下一階で15坪ほどの広さがあり、音響マニアのオーナーが揃えたライブ設備は『菩南座』よりも上等である。

オーナーは本当はブルースは大嫌いなようである。  しかし、「憂歌団」は好きらしい??? 

?ライブ当日は日米入り混じった大勢のお客さんが詰め掛けて、「神林治満」のブルーズ・ライブは始まった。

背格好は高からず低からず、もりもりの筋肉マンの腕を出し、坊主頭にサングラス、見事な口髭が「ロバート・ジョンソン」を唄いだす。

『菩南座』の倍の入場者は興奮のあまり、床でも壁でも叩きまくる。彼の唄う英語の特徴はカタカナのように聴こえ、オイラには解りやすい。

しかしアメリカ人はそれでも解るのか、納得しているのか、ギターが刻み出すスライドの爆音スリーコードに立ち上がり奇声を上げる。

すでに店内は野獣の館と化し、グラスを叩いて割るような暴挙に至っていた。

オーナーはといえば、ミキサーの前で腕組みをして、睨みつけるようにステージを見ている。

   完全に怒っている。

 ?  約1時間半のステージは終わり、平常営業に戻すために後片付けをする。

壊れた椅子や、グラスが散らばっている。

「もう、やりたくない!」オーナーの一言で二度と『ぼんくら』でのライブはありませんでした。

  ?  ?大和ではもう一軒、20坪位のロック系ライブ・ハウス『カフェ・ジャパン』があったが、度重なる大麻事件で逮捕され、

先行き定まらないまま店は閉まりました。

欲求不満のブルーズファンは『菩南座』ライブに期待をかける。

そうなればやるしかないと、「神林治満」と音響の打ち合わせをして、

「アンコール・ライブ」のタイトルで、一ヶ月後の土曜日に出演することが決定した。? 

当日になり、お客さんのほとんど『ぼんくら』ライブと同じ顔ぶれ。

入場者の数は限られていたが、来た人はなんとか収めることができた。

身体の大きいアメリカ人が来ると二人分の席が消えるので、オイラは余りいい顔をしてはいられなかった。

冬のライブも困ったことがある。やたらと着膨れをしていて、予定の人数が入らないことがある。

ライブの予約があるときは、身体のサイズを聞きたくなる程大きな人もいたのだ。?

 ?「神林治満」の第一回の「菩南座」ライブが始まった。

述べるまでもなく、大爆音です。打ち合わせなんか何のその、ギューン!〜ギューン!!〜ギューン!!!

(スライドの音)、凄い音量で弾きまくる。

オイラは真っ青な顔になり(お客さんの弁)、店のトビラをがっちり閉めて、思わず外に飛び出した。



以下つづく  




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