京浜ロック!





さあ、たまには書かなければ!と思いました。

?そう、オイラの人生はもう、そんなに長くはありません。

69歳のロックンロール人生、そろそろ終曲にしようではないか。

? オイラの書き始めから「夕焼け楽団」と「憂歌団」の話ばっかりでした。

?思い出す人も、まだあの頃を忘れていない人も、たくさんいると思います。?

オイラの記憶がなくなる前に、ちょっと書いてみます。??

「京浜ロック」なるタイトルで、10月12日(日)に川崎の東扇島で、ロックのコンサートが開催されました。?

出演者は「菩南座」ではお馴染みのミュージシャンばっかりです。

?まず、オイラ的筆頭から、

『久保田麻琴&夕焼け楽団?』

『オレンジ・カウンティ・ブラザーズ』

? 『センチメンタル・シティ・ロマンス』 

?そのほか知っているミュージシャンの方々、大勢大集合です。?



  当日、朝からぼや〜んとしながら店の前の椅子に腰掛け、たばこに火を付ける。

何日か前に張り出したポスターを眺めながら、フーッ!?そうか、日曜日、今夜か・・・夕焼けなるかな??

お天気は上々、しばらく空を眺めながら、もう一服、ここ数日のライブを振り返る・・・??

  金曜日のライブが「敦賀隆&吉田達二」(元"ボブズ・フィシュ・マーケット")

?知っている人は少ないと思いますが、学園紛争が盛んなりし頃のヒッピー文化の先駆けか、

若さ溢れていた学生運動家や、各派閥の学園祭のロック魂の中にいたバンドだ。

彼を目指してバンドを作った馬鹿野郎たちをいっぱい知っています。

(現在の日倉士歳朗が所属していたバンド、で分かるかな、1976〜?)。

?  一番嬉しかったのは、大昔の『BONANZA』時代の米兵の友人が、ボブズの出演日に日程を会わせて、来日してくることである。

(信じられるかい?いま流行の「mixi」って知っているでしょう。あれで知ったらしい)。?

そう、アメリカ・ハワイ州在住のご夫妻が、懐かしい「菩南座」を探し出し、遊びに来てくれました。

二人を結びつけた歌を、キューピットたち(!?)は歌ったのです。

?「敦賀隆&吉田達二」の二人にとっても何十年ぶりかの再会でした。

(元米兵は20年前に外人ハウスに住んでいて、ケニー井上とはルーム・メイトの仲でした)

定刻8:00にライブがスタートする頃には、たくさんのフアンが集まり、和やかに杯を交わしたのです。? 

ライブが始まれば約20年前のボブズ時代の曲から、ボブ・ディラン、バンド等、

今の人たちには忘れ去られたような親しみと懐かしさに溢れ返り、ただうなずきと笑顔がこぼれるひとコマでした。??



  土曜日は「永井"ホトケ"隆 & KOTEZ」でした。?

ホトケはオイラの憧れの、忘れてはいけないブルーズ・バンドの一つです。? 

1973年代初頭、西新宿の『マガジン#1/2(二分の一)』の時代は、

永井"ホトケ"隆(vo)、塩次伸二(g)、山岸潤史(g)、小堀正(b)、松本照夫(ds)というメンバーで、

「ウエストロード・ブルーズバンド」のレコーディングをした処です。

(菩南座に、このアナログ盤が現存!)

。 (塩次伸二(g)は、2008年10月19日、ツァー中、心不全の為永眠いたしました。享年57歳。合掌)

?  関西からのブルーズマンがツァーをするのは大変な頃である。

?もう一つ。1970年代の学園祭が賑やかな頃、京都大学講堂のライブでは、

ホトケ率いる「ウエスト・ロード・ブルーズ・バンド」に対立するかのように存在したのが、「憂歌団」だったのだ。

当時を知る人の話によると、まるで2分割したみたいにファンが別れ、

野次の飛ばし合いはまるで戦争かデモ隊の集会のようになり、収拾がつかなかったそうです。

なぜか演奏が始まればそこはそこで和気藹々の音に酔う、妙な感じで良かったそうですが、オイラは知りません。

?  そんな偉大なブルーズ・メンが常連のようにやってきては、「菩南座」を賑わす。?

毎回同じ曲が重ならないように、R&Bからブルーズ、ロックまで。  お客が四畳半に収容出来ないこと数知れず・・・。

?  余韻の残る夜だったのは、オイラだけだったか??丁度その時刻、

隣りの隣りの中央林間では、藤田洋麻が経営する「パラダイス本舗」で、

"久保田麻琴&夕焼け楽団"の公開リハーサルライブが行われていました(当然、オイラも行きたかった!)。

入りきれないお客様に店内は騒然とし、親父バンドのプロフェッショナルの腕前は本物だった。

2000年、今の若者との時代の差が広がり、忘れ去られて行くのが見えてくる。




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