ライブ始まる





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プロのミュージシャンに出演してもらうということはギャラが当然かかる。

ナンボ支払うのかオイラには検討もつかない。

??  山岸は商売人でもあるが、それなりの音楽に対する思い入れと人情的なところもあり、

オイラのやろうとしているところを的確につかみ、これがプロだと言えるミュージシャンを格安で交渉してくれました。

第1時期のライブスケジュールは、週末にこれらのミュージシャンによっておこなわれました。

  橋詰宜秋「Mooney」(g、vo)/アンクル・ムーニー?

  南 正人(g、vo)

?  橋本俊一「タイロン橋本」(g、vo)/ハバナ・ストンプ

井上憲一「ケニー井上」(g、vo)/夕焼け楽団?

  藤田洋麻(g、vo)&恩蔵隆(b、vo)/夕焼け楽団?

  妹尾隆一郎(hp、vo)&(g?)/ウィーピング・ハープ・セノウ?

  及川正道(hp、vo)& オー・マンゴー?

  敦賀 隆(g、vo)/ボブズ・フィッシュ・マーケット?

  西岡恭蔵(g、vo)

???  ベテランの「Mooney」と初めて会ったのは、「ケニー」と一緒に横浜県民ホールの

「ライトニング・ホプキンス」のコンサートに行ったときであった。

とき同じくして、伝説のブルースギターリスト「レイジー・キム」に出会えたのも忘れられない。

「Mooney」がライブをやったのは「菩南座」が初めてだと聞いたのが、つい数年前だ。

ニューオリンズ・サゥンドに魅せられたデキシー男「Mooney」は、

ジャグ、ジャズ、ラグタイム、ブルース、ロックと何でも演奏してお客さんを沸かしている。

久保田麻琴も「Mooney」の音楽が大好きで、時には「サンデー」

(現在、サンデー・フラダンススタジオの東京校と横浜校の経営者兼教師)と一緒に遊びに来たこともあった。

多くのミュージシャンを紹介してくれたのも「Mooney」だ。78〜80年代にかけては、いちばん大勢来たのではないかと思う。

関西方面から来た「中村よう」「島村洋一」「青木じげひさ」(元シェリフのメンバー)なんかもそうだ。

後に「光玄」も誰かの足跡を追って来ていた。

  あるクリスマスの深夜、外は冷たい雨が降っていると思いねぇ-

店の中は「Mooney &後藤(クラリネット)」のライブ中である。

お客様は「夕焼け楽団」のメンバーと米兵に常連たちが集まり、

熱の入った演奏が続いていると思いねぇ。1台のバスが店の前に止まり、

中からぞろぞろと10人ほどが手に手に楽器を待って「菩南座」に入ってくる。

  バスのボディには「デキシー・ジャイブ」とバンド名が入っていた。

「Mooney」の音楽仲間たちが、横浜での仕事の帰りに「Mooney」の応援にやって来た。

デキシーランド・ジャズバンドの面々だ。こんなに大勢が店に入るワケがない。

そう、出演者だけ残し後はバスで待機するしかない。そしてメンバーが増えたところで再び真夜中のライブは続行した。

その時の太郎の談話-?? 「いやあ、凄いの何のって、お客さんとバンドの区別はまずつかないし、

チッコイ舞台に3人以上は無理だし、それでもデキシーランド・ジャズは始まったんだよ。

楽器のぶつかりあいで、バンジョーにギター、クラリネット2本にサックス、ハープ、カズー、これだけならまだいいよ。

お客さんが、空き缶にビール瓶なんか鳴らすやつまで出てきて、にぎやかな愉快で楽しいクリスマス・ライブになったよ。

でもよー、見えない所からサックスやクラリネットが聴こえてくるんだぜ? 皆、首を伸ばしたり立ち上がったりしたが、

リード・クラリネットはどこ? サックスのソロはどこ? 見えるはずないよ、音の元は便所の中だったんだぜ……」

  「菩南座」のトイレは演奏中の前か横を通り過ぎ右の奥にある。そんなに広くはないトイレですが、

面白いことを思い出したのでついでに聞いてくれ。

ハローウインの夜、その日のライブも終了して、

米兵男女がいつもの様な流れの中でロックンロールで大盛り上がりになっていた。

当然、音の方も無防備にでかくなってゆく真夜中の午前3時、男も女もべろべろの大酔っ払い。

早速、近所から苦情の電話が殺到し始め、そろそろ警察が来るのは目に見えていた。

しかしそこで慌てず、来合わせていた友人のアラン・ブレィムと店の外に出て音の確認をしにいった。

  店に戻ってからびっくり!?? 今まで10人以上いた米兵の姿が何処にもいない? 時間にして3分ぐらいだ?

  アランは気づいていた。音のボリュームを下げると、トイレの中からうめき声と何かが壊れる音がして「ドカッ」と扉が開き、

男女が雪崩のようになって天井からすべり落ちてきた。酔っ払っているオイラをおどかそうとしたのだ

。 でもよくぞ12人も隠れたものだ。(最近ではS.Wが洗面台に手を付いて壊した。ボロだから手洗い以外は使用禁止!)

「南正人」(以後、ナミ)この人を知らない人はいないだろう。危険なロックンローラーである。

還暦すぎても今もなお元気に「愛と平和」のメッセージを歌いつづける旅人なのだ。

  「菩南座」の初めてのライブは今でも忘れられない。「この店は真っ暗な船底に居るみたいだなァ…」。

そして歌いはじめて間もないうちにお客さんの身体が自然とリズムにゆれだし、

まるで難破船に揺られているように何処までも流されて行くのである。

??  一般的に知られている曲は、70年代に発売されたアルバム「回帰線」の中から「海の男と女のブルース」だが、

後にSP盤では「ヨコスカブルース」になっている。「ハマスカ人」お勧めの一曲である。

  午後8時頃に始まったライブは、休憩をとりながら最高で第5部まで。朝の5時頃に終了するのが恒例であった。

夏場は夜が明けるのが早いので、何回まぶしいお日様を見たことか。

また遊びに来たミュージシャンとのセッションも常に当たり前になっていた。

  「ナミ」の凄いところは、自分の曲や好きな曲はそのときの気分で歌うのだが、歌詞や譜面台などは一切使わず歌いこなし、

東京外語大スペイン語学科出身だったので英語はもちろんのことスペイン語の綺麗な発音は、

ペルー人やコロンビア人もびっくりしたものである。

??  翌日のライブは決まったように横浜の老舗ライブハウス「グッピー」さんでした。

「ナミ」は声が枯れるまで歌い続け、「グッピー」さんには大変ご迷惑をかけたことと思います。

(以下、つづく)




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