TAROと憂歌団・その1



1973年、関西ロック・フエスティバル『8.8ロック・ディ』の始まりである。


毎年、真夏の炎天下の8月8日に始まるロック・フェスティバルは、アマチュアバンドのコンテストになっている。

そのライブは毎年レコード化されていたらしいが、手元には’75年の2枚組みのアルバムしかない。

そこからは、その頃の熱い関西ロックの叫びが伝わってくるのだ。

「ウエストロード・ブルース・バンド」

「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」

「ウィーピング・ハープ・セノウ」

「スター・キング・デリシャス(大上留利子)」、

沖縄からはパスポートを持ってハードロックの「紫」が上陸。

「AMI & TAME」の庄司(タメ)厚人は’78年に「ザ・サーカス」で参戦、ベスト・ボーカル賞を獲得。

コンテストは‘80年まで続いた(と、独断的に好きなバンドだけ書いたが、後に「菩南座」とつながってゆく)。

  「菩南座」では、毎月同じバンド(プロ、アマ含めた)の繰り返しのスケジュールで、月4〜5本のライブをこなしていた。

その頃の1$は290円ぐらいで、まだ米兵はリッチだ。週末の深夜は大和、鶴間、あたりは無頼の「ミッドウエー」の海兵隊であふれる。

兵隊の中で楽器が出来る奴がいると、誰かが必ず連れてくる。そしてとんでもないセッションが始まる。

今とはまるで違う、景気のいい時代である。厚木ベースのペイデイは15日と30日にあるといっていた。

日本人の平均的給料の倍は貰っているほど元気があった。



1980年2月、毎年この時期は暇なので、思いつきでライブハウス巡りでもしようと、車を飛ばして一路関西へと向かった。

関が原辺りは雪があったが無事に通過、京都市内に入ったのがお昼頃だ。

まず駅前の本屋で関西方面の情報誌「プレイガイドジャーナル(通称プガジャ)」を買って、近くの喫茶に飛び込んだ。

ある程度関西のバンドは聴いているので、お気に入りのバンドはないかとページをめくっていると、

最初に目に止まったのが「憂歌団」ライブであった。

京都市内の二軒のライブハウスに出演する予定になっている。これを見逃す手はない。

東京のライブハウスに来ることがあっても、早く行って整理券をとらなければ、なかなかナマを聴くことはできない頃だったので、

行き当たりばったりの気ままなひとり旅で、こんなに運の良いことはまずはない。

二日も先になるけれど、まず目標が決まったので当日まで京都見物と洒落込むことにした。

二条城の駐車場に車を止めて、足はタクシーかバスを利用して、オイラのライブハウス巡りは始まった。

夜6:00pm京都一番の老舗のライブハウス「拾得」は、二条城から歩いてさほど遠くない所にある。

酒蔵を改造した店内は広く、100人以上は軽く入るであろう。

入り口から真っすぐ奥へ進むと、そこには十坪ほどの売店があり、様々な手作りのおみやげ品が売られていた。

そこでオイラは興味深い「毎麻新聞」のバックナンバーを買い占めた。それにしても羨(うらや)ましいほどデカイ酒蔵だ!

  「拾得」のマスター、テリーさんは「久保田麻琴と夕焼け楽団」が歌っている「ラッキー・オールド・サン」の和訳の詩を書いた人で、

「久保田麻琴」との親交は厚い。

??  さて、今夜の出演者はまったく知らないバンドであるが、なにが出るかナマ音が楽しみだ。

お客さんは五分入りぐらいでゆったりとくつろげるのだが、2月の京都はちょっと寒い。

ストーブの前に陣取り、燗(かん)酒をグイグイやりながら開演を待った。

先に来ていた相席の「あんちゃん」とすぐに仲良くなったところで開演となった。

始まったのはジャズ・ロック(フュージョン)バンドで、ギター・ベース・サックス・ドラムスの四人編成である。

暗いステージの中で一言のMC もなく淡々と続くインストメンタル曲……三曲目が始まって間もなく、

「あんちゃん」がオイラに「店を出ないか?」と誘ってきた。

他所のライブハウスに行こうというのだ。  ライブハウスのハシゴは初めてだが、それも京都だから出来るのだ。

こりゃおもしれぇ〜〜いよっ!行きましょう〜

一緒に飛び出し大通りまで走った。  タクシーを拾い次のライブハウス、四条河原町の「磔磔(たくたく)」へと向かった。

二人で打ち合わせをしたのではないが、熱燗の酒がほどよく効いてきて、身体がロックン・ロールを要求していたのだ。

「磔磔」はライブ中である。ステージではギターを弾きながら、なにやらオリジナルのラブソングの熱唱中であった。

お客さんの入りの状態は、空席が目立ち、20人程がかたまって前の方におりました。

しばらく聴いていたがお互いにモジモジ、何かしっくりこない、

「ここも違う!」。オイラは「プガジャ」を広げて、ロックン・ロールらしいバンドが出演している店に電話をかけて聞いてみた。

「そのバンドはどんな感じのバンドですか?」、こんな問い合わせは「菩南座」にもよくある、まったく同じことになってしまったぁ〜。

次の店に出発するのに忙しく酒を一気飲みし、「あんちゃん」もいい気持ちになって京都ガイドに勤めてくれた。

時計は9時を回っている。たどり着いたのは「銀閣寺」近くの「サーカス&サーカス」である。

どこかで聞いたことのある店名だが、今は思い出せない。

中に入ってみて驚いた。平日だというのに入り口までいっぱいの満卓ではないか!

  小劇場のような造りの舞台ではロックンロール・バンドの若いお兄さんが、お揃いの明るいユニフォームで誰かのロックン・ロールを歌っている。

ボーイは薄暗がりの中、オイラ達二人を一番前の、ステージ真正面の席に案内してくれた。

わざわざ小テーブルを作ってくれたのだ。

周りは可愛いおねぇちゃん達でギュウギュウのキャーキャー。

酔っ払って気をよくしたオイラは、「お酒をジャンジャン持ってきて! オードブルも頼みます!」の大はしゃぎ。

「あんちゃん」もオイラと一緒になって身体をゆすって踊りだす。

どうやらこのバンドはアイドル的に人気があって、シングル盤の記念ライブらしい(バンド名記憶なし)。

ところが、男達は壁ぎわの席と後ろの方にだけ固まっていて、おとなしい(?)。馬鹿をやっているのはオイラ達だけだ。

終わり近くなって、シャイな京都の男達もついに立ち上り、ローリング・ストーンズに踊らされる。 

「いいゾ〜!」

足がもつれてテーブルを倒し、酒とオードブルはどこかに飛んでゆく。 

  そしてアンコール曲となり、皆さんタテ揺れとなり、終わったのである。



帰るとき店の人が「お蔭さんで、盛り上がりました。ありがとうございます」だって…オイラは盛り上げ屋のさくらじゃあねぇよ!

思わず笑顔でファックキューサイン、中指ビンビンで立ち上げても、まだこの街では通用しない。

アメリカ人が居たらぶっ飛ばされていたろう。

すっかり意気投合したオイラ達二人は、次に、東山三条にある「おかま」のロック・バーに繰り込んだ。

(以下続く)




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