少年期
理由無き反抗

渋谷も新宿も銀座も、何処へ行っても街の中は喧騒な賑わいの中に、愚連隊がいました。

生まれた下北沢から三軒茶屋までも、小さな抗争が始まり、リーゼントの髪型は不良の象徴みたいになり、

イカレポンチがウジャウジャの東京? うじ虫がわくように肩をいからせ加えタバコで繁華街をうろつきます。

中学を出たてのニキビ野朗がウロウロされたら、商店街は商売にはなりません、すると本職の親分か子分なんか出てきて大事です。

当然に警察の少年課あたりが出てきまして取り締まりが始まります。 お祭りや縁日の日は大騒ぎになります。



三軒茶屋のバラック建てのマーケットには、金物屋がありまして中学時代の悪餓鬼共はそこで飛び出しナイフを買ってきて、

自慢そうに仲間に見せていましたよ、オイラもそこで刃渡り20センチの白鞘のナイフを手にいれました。

たいした切れ味は良くありませんが、懐に隠し持って商店街をうろつきまわって、よからぬ与太話で粋がっていました。

話をしていることがヤバイ事ばかりで、金になる事ならなんでもありの馬鹿野朗の集団です、

当然、少年課のデカ(刑事)が目を光らせ小さな喧嘩とか盗みの万引きから恐喝までゴロゴロ捕まりましたぜ、

中学を卒業してからオイラは鮫洲の中央職業訓練所の自動車科に入所しました。

世田谷の代沢町から渋谷へ出て山の手線で品川乗換えで大手町まで通います。

朝の八時に出所ですから1時間半もかけてよくも通いました、当然、訓練所でありますので作業着に着替え先生の説明により授業が始まります。

基本訓練がハンマーの振り方、万力に挟み込んだ鉄の延べ棒を力任せに振り下ろします、人殺しの訓練だな、

一発で死にますよ、年齢は様々で40歳から16歳ぐらいまでで中には高校中退野朗もいましたよ、20人中5人程が中卒で気が会いましたが、

生活が掛かっている叔父さん連中は、生活がかかっているので凄いパワーです。よく怒鳴られました、半数以上は普通免許か自動二輪の免許は持っていました。

オイラの初めの目標うは免許が一番ほしかったのです。鮫洲の運転試験場が目の前にあるので自動二輪の試験コースを眺めにゆきました。


基礎訓練の中でプライヤーの工作がありまして、意外と辛いのが鉄ヤスリで削り出す作業です、一人一丁づつあてがわれるので、

馬力のある人には追い越されて、加工の方は一番のビリでした。(最後に鍍金仕上げされ訓練所の資金にするのでしょう)

すべてを一ヶ月ほどやり後は自動車の基本実習です。さて、どんな車をいじるのかと言うと、今では考えられないほどの外車のポンコツが教材です。

よくぞ探してきましたと言わぬ限りのアメ車ばいありです、パッカード、シボレー、フォード、リンカーン、ヒルマン・ミンクスなどなどです。

たった一台だけ四角いダットサンがありました、昼時になるとお気に入りの車の中でシーメを食い、フロア・シフトのミッションをいじくり回し、

クラッチで切り替えたりハンドルをグリグリかき回したりして、免許を早く取得して運転したかった。

所内になれてそれぞれ仲間が出来ます、その中に『ポンチ』というあだ名の同年代面白い奴と仲良くなりました。

結構な単純な作業がつづいたり、やたらと作業責任者の月給とりがえばり腐っていて面白く無い時はなどは適当にずらかり、遊びに行きます。

グレン・フォード主演の『暴力教室』でした。観終わって外へ話したな、あれはアメちゃんの職業訓練所みたいな刑務所でないか?なんて

                                                 

当時にえらく気取った20歳ほどの年上の野朗がいました、

若い十代の人は1年組みで、中高年者は半年組みと別れていて、
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